最後まであきらめるな――。
これは成功者の決まり文句です。
あきらめずにやり続ければ誰でも成功する。
しかし、あきらめてしまったらそこで終わり。
それまでの努力は水の泡。
あきらめるのは弱い人間のすることだ。
世間にはそんな風潮がありますが、本当に「あきらめる」ことは悪いことなのでしょうか。
そもそも「あきらめる」には2つの漢字があります。
一般的に「あきらめる」といえば「諦める」と書き、その意味は「希望や見込みがないと思って断念する」ですが、実は「諦める」の語源は「明らめる」だそうです。
「明らめる」とは事情や理由を明らかにすること。
つまり「諦める」は「明らかに極める」から来ているのです。
まずは事実や理由をはっきり認識して(明らめる)、その上で状況に合っていなければ断念する(諦める)。
この流れが本来の「あきらめる」という行動なのでしょう。
「最後まで諦めるな」ではなく「最後まで明らめろ」であれば、まさしく成功の条件だろうと思います。
うまくいかないことに固執するとおおむね失敗します。
そこで諦めて次のチャレンジに目が向かないのは「明らめて」いないからでしょう。
明らめるとは「受け入れる」ことでもあります。うまくいかない理由を冷静に分析して受け入れなければ、何度も同じことでつまずくのは自明の理。的確な判断は理由を分析して状況を把握することで成し得ます。
どう考えても無理だと「明らめ」たら、すみやかに「諦める」。
引き際は企業の存続を左右する非常に重要な判断です。
明らめるには「心を明るく楽しくして気持ちを晴れやかにする」という意味もあります。
壁にぶち当たったとき、その壁を乗り越えようとする自分を楽しめているかどうか。
楽しめていないなら「明らめて」いないのかもしれません。諦めるのが悪いわけではなく、明らめずに諦める夢の途中の行動こそが、それまでの努力を水の泡にしてしまう「もったいない」行為だというわけでしょう。