僧侶であり歌人でもあった良寛は「老い」と白髪を結びつけた歌を多く残しました。
「白雪は降ればかつ消ぬしかはあれど頭に降れば消えずぞありける」は、自らの老いを自覚した良寛が「白雪は降るそばから消えてしまうが、髪の毛に降った白いものは消えてくれないことよ」と詠嘆した一句です。
良寛でなくとも「髪の毛に降った白いもの」は嫌でも老いを感じさせます。
年齢を考えれば自然なことでも、鏡を見るたびに「また増えたかも・・・」と気になります。
仕方ないと思いつつも気になってしまうのは白髪ばかりではありません。
例えば人のクセ。
特に同じ屋根の下で暮らす夫婦の場合、仲が良いときは黙って見逃せる相手のクセが、ひとたび雲行きが怪しくなると途端に気に障るようになり、つい相手を責めるような物言いをしてしまうことはありませんか?
髪の毛に降った白いものが消えないように、人の性格もそうそう変わりません。
アンチエイジングもこだわりすぎれば息苦しくなり、人のことも「こうあるべき」と言い出したら人間関係がぎくしゃくします。
冒頭の歌は、良寛が自分の老いを自覚して詠んだと書きましたが、良寛は白髪自体を嘆いたのではありません。
自分の白髪頭に苦笑して、老いを笑い飛ばしているのだと思います。
このご時世、気になることは山ほどあるでしょう。
けれど「白髪を気にして抜くと白髪が増える」と言われるように、心配事を数え始めたら、心配が心配を呼んで不安ばかりが大きくなってしまいそうです。
自分のことも人のことも、商売の先行きも、肝心なのは気にしすぎないことではないでしょうか。
答えのないことを考え続けても、いたずらに時間が過ぎていくだけです。
自然の摂理を詠んだ良寛の句に「花無心にして蝶を招き、蝶無心にして花を尋ぬ」があります。
花は無心で咲き、蝶も無心で花を尋ねる。仕事も同じく、無心でする仕事こそが美しく、長続きして、世のためになるという意味です。
心は熱く、頭は冷静に、今できることに集中して、今日も心穏やかにいきたいですね。