【商売はケ・セラ・セラ】
2018.01.15更新
ヒッチコック監督のサスペンス映画『知りすぎていた男』では、ドリス・デイの歌う『ケ・セラ・セラ』が物語のラストに向けた重要な糸口になっていました。
「大きくなったらきれいになれる?お金持ちになれる?」そう尋ねる女の子にママや学校の先生は言います。
「ケ・セラ・セラ、なるようになる」。
大人になると恋人にも聞きます。
「幸せな未来が待っているの?」。
恋人の答えも「ケ・セラ・セラ」。
彼女が子どもを授かると、今度は子どもが尋ねます。
「私はきれいになれる?」。
「ケ・セラ・セラ、先のことなんて分からない、なるようになるわ」。
小気味よいストーリーも巧みですが『ケ・セラ・セラ』はそれ以上の印象を残して映画は幕を閉じます。
「一休さん」の愛称で親しまれた一休和尚は遺言状を書いてこの世を去りましたが「大きな問題が起こるまで決して読むな」と言い残したそうです。
弟子の僧侶たちは教えを守り、遺言状が開封されたのは一休和尚の死からしばらく経ってからのこと。
大きな問題に直面していた僧侶たちがすがる思いで開いた遺言状には、こう書かれていたそうです。
「なるようになる。心配するな」。
とんち好きだった一休和尚らしい逸話です。
「なるようになる」といえば、沖縄の方言の「なんくるないさぁ」が思い出されます。
「なるようになる」とか「なんとかなる」という意味で知られていますが、沖縄の人に言わせると、生きていく辛さの中から生まれた深くて力強い言葉だそうです。
ままならない世の中でも私たちは生きていかなくてはなりません。
でも、誠実に真剣に生きていればきっとうまくいく。
それを信じる気持ちが「なんくるないさぁ」なのでしょう。
時代の変化のスピードは加速度を増し、商売のやり方も人の考え方も変わってきました。
「今しかない」といいますが、本当になんとかできるのは、まさに「今の自分」のことだけでしょう。
商売に正解はありません。
うまくいかないときも「なるようになる」の精神で、今の自分にできることに集中したいものですね。
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