【解釈力を磨く】
2023.07.15更新
朝、元気に「行ってきます!」と出かけた人が事故に巻き込まれ、その日の夕方には全身を包帯に巻かれた姿で病院のベッドに寝ていた、という話を聞きました。
その場にいた全員が「なんて不幸な出来事なんだ」「かわいそうに」と同情する中で、当事者の妻は「彼が生きていてくれて本当によかったです」と満面の笑みだったそうです。
私はこのとき、とても大事なことを学びました。
人を不幸にするのは「出来事」ではない。
その出来事をどう「解釈」するかで自分にとっての現実がまったく違ってくる、ということです。
自分の身にトラブルが起きたとき、あなたはそのトラブルをどう解釈しているでしょうか。
自分に非があれば謙虚な気持ちで反省し、迷惑をかけた相手には思いやりの心で接するかもしれません。
また自分に非がなければ「相手が悪い」「タイミングや状況が悪かった」など、原因となった要素を責めることもあるでしょう。
けれど例えば石につまずいて転んだとして、果たしてそこに石があったからなのか。
「こんな所に石があるのが悪いんだ」と解釈することもできますが「足元の石に気づかなかったのは自分の不注意だ。転んだおかげで、次からは足元に気をつけようと思えてよかった」と解釈できたらどうでしょうか。
そうすることにより今まで苦難だ、逆境だと嘆いていた出来事すべてが逆転して、結果「よかったじゃないか」となるのではないでしょうか。
「すべての出来事は自分にも原因がある」と解釈して、現実を感謝の気持ちで受け止めてみる。
これは一種の訓練です。繰り返し解釈力を磨くプロセスで、私たちは多くを学べるだろうと思います。
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