【禅から学ぶ商売の心持ち】
2023.04.13更新
姥捨山(うばすてやま)の物語をご存じでしょうか。
ある男が口減らしのために年老いた母を山に捨てに行きます。
母を背負って山道を歩いていると、ときどき背中で枝を折る音がします。「さては母が、捨てられたあとに一人で山を降りるための目印を作っているな」。男はそう思いましたが、知らん顔でようやく山奥にたどりつき、母に別れを告げました。
すると母は息子に言うのです。「山を登ってくるとき、お前が帰り道を間違えないように枝を折って目印をつけておいたよ。それを頼りに気をつけて里へ帰りなさい」。
自分が捨てられようとしているのに、なおわが子のために道しるべを残そうとする親切心。
自分のことは一切考えず、ただ相手を思いやる心。禅の世界ではこれを「老婆心」といいます。
現代では「おせっかい」や「余計なお世話」と似た解釈をされがちですが、本来の「老婆心」は「利他心」に通じる心持ちなのでしょう。
昔のお年寄りは、見送った人の背中にいつまでも手を合わせて感謝していました。
困っているように見える人には「どうしましたか?」と自然に声をかけ、ついでだからと近所の草むしりもして、泣いている子の頭を優しくなでながら「いい子だ、いい子だ」と話を聞いてあげたものです。
今のような混沌(こんとん)と複雑化していく世の中では、本来の老婆心が人間関係を豊かにして、仕事や生活の潤いになるように思います。
親が子を思うように、また祖父母が孫を思うように心を尽くし、ただ相手を思いやり、仕事に当たる。そう簡単にできることではありませんが「人によかれ」の心で商売することは忘れないようにしたいものです。
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