2019.01.15更新

 お正月にたこ揚げをする子どもの姿は、今やブラウン管のテレビと同じくらい珍しい光景になりました。

 けれど遊び方は変わっても、子どもたちの発想がユニークなことに変わりはありません。

 小学校のテストで次のような問題が出されたそうです。

 「自分たちがいつも使っているスポーツ用品に、どんな工夫をしたらスポーツ観戦が盛り上がると思いますか?スポーツ用品会社に提案するつもりで盛り上がる理由も考えてみましょう」。

 これに対してある女子小学生は「盛り上がる工夫:女子選手のズボンの丈を短くする」「盛り上がる理由:おじさんたちがヒューヒュー言うから」と回答していました。

 テストの問題も斬新ですが、小学生の発想も柔軟ですね。果たしてこの問題、

 自分ならどう答えるかと考えてみたのですが、この小学生の柔軟な発想を超える工夫は思い付きませんでした(笑)。

 さて、ここで質問です。

 「○○をもうけたい」。あなたなら○○にどんな言葉を入れますか。

 「お金」と入れる人が多いだろうと想像しますが、ある社長は○○に「喜び」を入れ「私はお金をもうけるというより喜びをもうけたい」と言いました。

 地元で採れる規格外の農産物を使って画期的な商品開発と販売に成功したその社長によれば、商品開発は大変だったけれど、喜びをもうける気持ちを忘れずにいると自然と多くのご縁がつながって、どんどん良い方向に話が進んだとか。

 販売は業務用のみ。

 小売り向けの販売やネット通販はアウトソーシング。

 そのほうが自社コストを最小限に抑えられ、かつ他社の利益も大きくなるからだといいます。

 喜びを「与える」「創る」「生み出す」ではなく「もうける」という発想に「ヒューヒュー」と言いたくなるのは私だけでしょうか。

 ちなみに「女子選手のズボンの丈を短くする」という回答に対して「確かに・・・。ってアホか!」とコメントした先生。

 テストの答えとしては×でも個人的にはユニークで◎と、ヒューヒュー言いながら書いたかもしれません。

 商売に浮き沈みはあれど、心の中ではいつもヒューヒュー言いながら柔軟に対応していきたいものですね。

投稿者: 伯税務会計事務所

2018.12.15更新

 四季折々で表情を変える美しい自然の風景は、日本の魅力として世界に広く知られています。

 けれどこの夏は、アフリカから来た観光客に「日本のほうが暑い!」と言わせるほどの猛暑でした。

 天候でも植物の生育でも生き物の生態でも「季節外れ」という言葉が「異常」の代名詞にもなっている現代ですが、昔の日本には季節外れを受け入れる風流がありました。

 例えば、俳句の季語では時節を過ぎて鳴く虫の音を「忘れ音」といいます。

 時節が過ぎ去ってから咲く花は「忘れ花」。

 返り咲きした花は「返り花」。

 春半ばの降りじまいの雪は「雪の果」「忘れ雪」「別れ雪」「涅槃雪(ねはんゆき)」など情緒たっぷりに表現されます。

 歌人にとっての季節外れは異常ではなく、風情や個性なのでしょう。

 「外れる」という言葉には「予測や期待と違う結果になる」「通常の基準に合わなくなる」「一定の枠や基準を超える」という意味もあります。

 「一億総中流社会」に象徴された昭和から「多様化」の平成になり、多様化という言葉さえすでに古いと感じるくらい価値観が枝分かれして複雑になりました。

 凝り固まった価値観やルールからの脱却を「さよなら、おっさん」と表現した広告が賛否両論を呼んだのは記憶に新しいところ。

 「個」の時代がますます加速していくと言われる今、外れること自体が価値を創造していくようにも感じます。

 しかし、長年商売をしていると、変化を求めながらも外れることを避けようとするのはよくあることです。

 口では「変わりたい」と言いながら、実は今に甘んじていたいという気持ちは、ごく一般的な心理でしょう。

 それでも私たちは、外れた事象を受け入れる遺伝子を受け継いでいます。

 しかも「激動の昭和」と「多様性の平成」の両方を経験している世代は、故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知るバランス感覚も持ち合わせているのではないかと思います。

 人によっては3つの年号をまたいで商売をしていく人もいるでしょう。

 過去にとらわれず「外れる」勇気を持って新しい時代に望みたいものですね。

投稿者: 伯税務会計事務所

2018.11.15更新

 以前、カナダのある大学が面白い実験をしました。

 学生46人に5ドルまたは20ドルを渡して複数のグループに分け、夕方5時までにお金を使うように命じました。

 ただし、あるグループには家賃の支払いなど自分のために使うように指示し、残りのグループには他人のためにお金を使うか慈善団体に寄付するように指示しました。

 つまり、自分のためにお金を使うか、他人のためにお金を使うかの違いです。

 さて、より幸福だと感じたのはどのグループの学生だったでしょう。

 事前に学生が予想したところ、自分のために20ドル使うグループの学生が一番幸福感を得るだろうという意見が多かったそうです。

 けれど、実験の結果は意外なものでした。

 より幸福だと感じたのは、自分のためではなく他人のためにお金を使った学生。

 しかも面白いことに、それは5ドルでも20ドルでも変わりませんでした。

 つまり、金額の大小ではなく「他人のためにお金を使った」という行為自体に満足感を覚えた学生が多かったのです。

 先ごろ夫を亡くされた女性が「一人の食事は本当に味気ない」としみじみ話していました。

 夫が健在だったときは毎日の食事作りが面倒で、一人ならどんなに楽かと思っていたそうです。

 でも本当に一人になってしまったら、うまいだのまずいだの言ってくれる人がいなくなり、食事を作る張り合いもなくなって手抜きご 飯になっているとか。

 「自分のためだけってむなしいものですね。誰かのためと思えばこそ、やる気が出るんですね」。

 誰かの役に立っている。誰かが喜んでくれている。

 そこに幸せを感じてやる気になるのは、国も人種も性別も立ち場も越えた、人としての普遍的な感情なのでしょう。

 歌手や講師など大勢の前に立つ人は、客席の誰か一人をこっそり選んで、その人に向けるつもりで歌ったり話したりすることがあるそうです。

 「今日はこの人のために」と心で思うことで、自然と笑顔になれるし気持ちも込めやすくなるというのは、商売をしている人ならお分かりでしょう。

 漠然と「お客さまのために」と思うより、「○○さんのために」とその人の顔を思い浮かべると良い商売ができそうですね。

投稿者: 伯税務会計事務所

2018.10.15更新

 その出来事をどう捉えるか――。これは本人の性格や状況、もっと高い視点でいえば、その人の哲学によって出来事の受け止め方は変わってきます。

 例えば、1万円を失くしてしまったら、多くの人は「もったいない。どうして気付かなかったんだ」と悔しがって嘆くでしょう。

ところが、ある社長は1万円を失くしたことに気付いた瞬間こそ「あぁ・・・」としょんぼりしたものの、そのすぐあとに「だけど私の1万円は拾った人の役に立つだろうから、それでいい」と笑っていたそうです。

 彼は普段から何かにつけてそんな調子だとか。

 思うように事が運ばなくても「そんなこともあるよね」と笑い飛ばし、アクシデントに見舞われても「こんなこと、めったに体験できないから」とアクシデント自体を楽しんでしまう。

 良くも悪くもあまり物事にこだわらず、執着しないたちなのでしょう。

 その楽観主義が周囲を和ませるのか、彼の周りにはいつも人が集まってきます。

 人が集まるところにはお金も集まってくるので、彼の商売が順調なのも自然の成り行きなのでしょう。

 よく言われる例えですが、失敗を「失敗」だと思わずに「経験」だと捉えれば、クヨクヨ悩まずにすみます。

 こんな楽観主義を「能天気」だ「お気楽」だと批判する人もいますが、脳科学者の茂木健一郎氏の著書『脳を活かす仕事術』によれば、「脳は楽観主義でちょうどいい」そうです。

 脳がうまく働くにはある程度、楽観主義なほうがいいという意見には経験的に思い当たる節もあり、何でも捉え方次第だと改めて痛感しました。

 早いもので今年もあと2カ月となりました。

 残りの日々を横目で見ながら1年のまとめに入っている気の早い人もいるでしょう。

 節目のタイミングでは、出来事を「良かった」「悪かった」の二分法で考えがちですが、「良い」「悪い」の判断より、色々あったけれど何とかやっていることに目を向けてみるのも悪くありません。

 思い悩んでもすべて過ぎてしまったこと。

 やり直せない過去にこだわれば、執着する分だけ未来に暗い影が差します。

 バランスのよい楽観主義でいきたいものですね。

投稿者: 伯税務会計事務所

2018.09.15更新

 入ってくるお金を増やすか、出ていくお金を減らすか。

 これは商売を改善するためのひとつの考え方です。

 入ってくるお金が増えなければ、出ていくお金を抑えるしかないと節約に励む家庭の主婦同様、商売でもコスト削減は必須ですが、むやみなコスト削減は社内の士気を下げ、社員のやる気が低下すれば生産効率も低下します。

 どこを削って、どこにお金をかけるのか。その見極めに悩む経営者は、節約上手な主婦の発想を参考にしてはどうでしょうか。

 家庭の主婦であれば、どんな状況下でもまず守るべきは家族だとしっかり認識しています。

 家族を守ることの筆頭は健康です。

 どんなに食費を切り詰めても、その範囲で可能な栄養バランスを考え、節約料理のバリエーションに知恵を絞ります。

 今はディズニーランドに行けなくても、健康でさえあればいつか家族全員でミッキーマウスと記念写真を撮れるでしょう。

 その日のために家族の健康を守るべく、主婦は今日もチラシをくまなくチェックして、底値を求めて遠いスーパーまで自転車を走らせるのです。

 商売が繁盛しているある会社の社長は、さぞかし豪華だろうと思いきや、外観も室内も拍子抜けするほど地味で殺風景。

 その理由を尋ねると「お客さまへのサービス提供と関係ないものには一切お金を使わない主義なんです」とのこと。

 例えば会社の内装にお金をかけてしまうと、提供するサービスの価格も高くしなくてはならない。

 価格を高くすれば宣伝広告も必要となり、それに伴い仕事量が増えてしまう。

 その社長は効率を重視した仕事ぶりで知られていますが、顧客のためにならない出費はしないというポリシーが効率化の最大の柱だそうです。

 あなたは、誰のためなら節約料理のバリエーションを増やそうと思えますか?

 何のためなら遠くのスーパーまで自転車を走らせることができますか?

 節約上手な主婦の発想を参考にすれば、最終的な目的を明確にすることで、お金をかけるところ・削るところの見極めがつくのではないでしょうか。

投稿者: 伯税務会計事務所

2018.08.15更新

 「わたくし、生まれも育ちも東京葛飾柴又です。帝釈天で産湯を使い、姓は車、名は寅次郎。人呼んでフーテンの寅と発します」。

 テンポの良いおなじみの名セリフを懐かしく思い出す方も多いでしょう。

 22年前に渥美清さんが亡くなったとき、フランスのル・モンド誌は「下町の英雄、寅さん逝く」と題した渥美清さんの 評伝を掲載しました。

 鞄ひとつで日本全国を気ままに旅する寅さんは、日本人が憧れる「小さな自由」を映画の中で具現していると述べ、寅さんを演じた渥美さんを「劇中の人物になりきったまれな役者」と高く評価しました。

 寅さんのあの自由さはどこからやって来るのか。

 「フーテン」とは仕事も学業もしないでブラブラしている人のことですが、寅さんは、実はたいした商売人だったのではないでしょうか。

 『男はつらいよ 拝啓車寅次郎様』にこんなシーンがありました。

 靴の会社で営業をしているおいっ子の満男が、仕事がつまらないと愚痴をこぼします。それを聞いた寅さんは、そのへんにあった鉛筆を満男に渡して「オレに売ってみな」と言うのです。

 満男はしぶしぶと「この鉛筆を買ってください」と寅さんにセールスをします。「消しゴム付きですよ」と特長をアピールしますが「僕は字を書かないから鉛筆なんて必要ありません」とすげなく断られてしまいます。

 満男が「こんな鉛筆は売りようがない」とさじを投げると、寅さんは満男から鉛筆を取り上げて「この鉛筆を見るとな、おふくろのことを思い出してしょうがねぇんだ」と、鉛筆にまつわる話をしみじみと語り始めました。

 もちろん即興の作り話ですが、これが実にうまいのです。

 細い目をもっと細めて、本当に懐かしそうに鉛筆を見ながら情感たっぷりにあの名調子で語ると、その場にいた家族全員が寅さんの話に心を奪われ、みんなその鉛筆が欲しくなってしまうのでした。

 鉛筆を「モノ」として売ろうとした満男と、鉛筆の「価値」を伝えた寅さん。つまり寅さんは、物を売るとはどういうことかを満男に実演して見せたのです。

 「どんな価値を付けるのか」今一度、自身の商売を見つめ直してみたいですね。

投稿者: 伯税務会計事務所

2018.07.15更新

 夏の日差しを受けて植物がぐんぐんと育つ季節。

 見上げるほどの大木を見ると、さぞかし根っこも立派なのだろうと想像します。

 植物の世界には「T/R比」という法則があります。

 地上に見えている幹や茎や葉の部分(Top)と、地下にある根っこの部分(Root)の重さの比率はほぼ一定でバランスを保っているという法則です。

 健全に育っている植物のT/R比は3~4。

 もしも根っこが切れてしまったら、樹木は自ら枝葉を落として正常なT/R比を保とうとするそうです。

 逆に枝葉が折れてしまったら根の量を減らしてバランスを保つという自然界の不思議な法則です。

 地上に見えている部分は全体の7割くらいですが、大きな木を支えているのは言うまでもなく根っこの部分。

 見えていない3割が地下で木を支えているわけです。根っこが十分に発達していないと木は倒れてしまいます。

 地下で根っこが深く広く根ざしていくほどに、地上では幹や葉っぱが縦に横にと伸びていく。

 書籍『奇跡のりんご』で知られる木村秋則さんが「植物を手本にして生きれば、間違いはない」と言うように、植物だけでなく勉強でもスポーツでも商売でも、根っこがしっかりしていることはとても重要です。

 けれど、どうしても表面的なものを求めたり、目先のお金を追いかけてしまったりと、枝葉にばかり意識が向いてしまうことはありませんか。

 それは商売のT/R比が崩れている状態でしょう。

 一見、華やかな成功を収めている人が、実は陰で人の何倍も努力していたという話は美談で終わりがちですが、表面的な結果が大きければ大きいほど見えないところでしっかりと根を張っていることを、改めて心に刻んでおきたいものです。

 ところで「大地にしっかり根を張って」という話をすると、その大地がもともと荒れ果てていたら根の張りようがないと返す人がいます。

 何でも環境のせいにしていては、根を張る前に種まきさえもできません。

 数ミリでも隙あらばコンクリートの割れ目からも顔を出す雑草のたくましさがまぶしく感じられます。

投稿者: 伯税務会計事務所

2018.06.15更新

 観光庁によれば平成29年の訪日客消費額は初の4兆円超えで、過去最高を更新しました。

 外国人をターゲットにしたインバウンドビジネスは今後も伸びていくことが予想され、貴社の商売でも外国人と接する機会が今まで以上に増えるかもしれません。

 外国人が相手だと真っ先に言葉の壁を心配する人が多いようですが、言葉以上に悩ましいのは常識の違いでしょう。

 小売業を営むA氏は身をもってそれを実感したばかりです。

 A氏が取引先を招いてホームパーティーを開いたときのこと。

 表向きはざっくばらんな懇親会でしたが、実は新規の取引先であるブラジル人のS氏のサプライズパーティーでもありました。

 S氏には「午後1時に来てね」と伝えておき、他の人たちは先に集まってS氏を歓迎しようという計画でした。

 ところがS氏は30分も遅れて来たのです。

 しかも悪びれた様子はまったくありません。

 A氏は思わず感情的になって、約束に遅れて来たS氏を非常識だと責めました。

 しかしS氏は相手が何に腹を立てているのかまったく理解できず、しばらく面食らっていたそうです。

 ブラジルでは、内輪のパーティーに呼ばれたら始まりの時間より30分ほど遅れて行くのがマナーだったのです。

 それは、相手が急いで用意をしなくても済むようにという心遣いでもあり、1時間くらい遅れて行く人も少なくないのだとか。

 つまりS氏は遅れてしまったのではなく、マナーとしてあえて遅れて来たのでした。

 約束の時間を守るのが当たり前だという日本と、遅れて行くのが当たり前だというブラジル。

 後日、その事実を知ったA氏は「当たり前」が違う同士でお互いを非常識だと非難するのは、それこそ非常識というものだったと深く反省したそうです。

 国が違えば常識も違う。

 国が同じでも人の数だけ常識がある。

 分かっているつもりでも、つい自分の常識が万国共通だと思ってしまうことがあります。

 時に常識を疑うことも必要だろう。

 これがA氏にとっての商売の新常識となったようです。  

投稿者: 伯税務会計事務所

2018.05.15更新

 北海道では春の息吹を感じ、沖縄では初夏を迎える5月。日本全国いたるところで体中に力みなぎる季節になりました。

 5月21日頃は二十四節気の「小満」(しょうまん)にあたります。

 小満とは、万物に生気が充満し、果実が実り草木が繁るという意味で、自然界の全てのものが次第に満ちてくることから小満といわれます。

 田畑からの収穫を生活の糧にしていた昔の人にとって、農作物の出来・不出来は死活問題でした。

 5月の半ば過ぎは前の年の秋にまいた麦などに穂がつく頃。

 無事に穂がつくと「今のところは順調だ。

 よかった、よかった」とひと安心(少し満足)したことが小満の由来のひとつだともされています。

 ところで、二十四節気には「小暑」に対する「大暑」があり、「小寒」に対する「大寒」があります。

 しかし「小満」の対になる「大満」はありません。

 小満が「ひと安心」なら、大満は「心配事が何もない満足しきった状態」とでもなるのでしょうか。

 自然は慈母のようなやさしい面を持つ一方で、暴君のような怖さも、情け容赦のない厳しさもあります。

 今よりずっと自然に寄り添って暮らしていた昔の人々は、自然の二面性を肌身でしっかり感じていたからこそ、暦に大満がないのかもしれないと勝手に想像してみました。

 話を現代に移しましょう。

 現代人の小満は「ひと安心の少し満足」ではなく「少々不満」になっているような気がします。

 今のところは順調でもそれだけでは満足できず、先の先まで順調であろうとしたり不安になったり。

 待つことを嫌い、結果を先に知りたがり、麦の穂が出るのは当たり前だと思って感謝を忘れてしまう。

 私たちは知らず知らずのうちに大満を追い求めてきたのではないでしょうか。

 これが仕事であれば日々、何の心配もなく十分満たされた「大満商売」は理想的かもしれません。

 けれど何事も陰陽、表裏一体だと思えば「ありがたい、ありがたい」とひと安心して感謝する「小満商売」でありたいと、薫風に吹かれながら思うのでした。

投稿者: 伯税務会計事務所

2018.04.15更新

 A氏がクリーニングに出したジャケットが破損して戻ってきたそうです。

 あらかじめ破損の可能性を知らされていたので仕方ないと納得したものの「こんなにひどいヒビ割れは今まで見たことがない」と受け付けの店員も驚くほどの状態なのに、取りに行くまで何の連絡もなかったことにA氏は違和感を覚えたそうです。

 A氏も会社を経営する立場。

 トラブルの対処は初動が肝心だと常々肝に銘じています。

 そこで、その店員に「こういう場合はどうされるのですか?」と聞いてみると「弁償はできませんがクリーニング代をお返しして、ご迷惑料として一律5000円をお支払いしています」とのこと。

 今まで見たこともないくらいひどい状態だと言いながら「一律」とは・・・。

 どんな会社なのか逆に興味がわいたA氏は「弁償は望みませんが、上の方から一度お電話いただけませんか」とお願いしてみました。

 その翌日、クリーニング店からの電話に出られなかったA氏がコールバックすると、電話口の人が明るく元気にこう言ったそうです。

 「あのクレーマーの方ですね!」。

 店員にまったく悪気がないのは分かりました。

 このクリーニング店では、店員同士が「クレーマー」という言葉を日常的に気軽に使っているのだろうと感じられたからです。

 裏では「お客」、表では「お客さま」。

 それと同じノリで「クレーマー」に「方」を付けて「クレーマーの方」というおかしな言葉を編み出したのだろうと想像し、A氏は怒るというより笑ってしまったそうです。

 そして同時に、これが自分の会社だったらと考えて背筋がゾッとしたのです。

 会社が築いてきた信頼や信用は、たった一人の、たった一言で、いとも簡単に失われてしまうことがあります。

 A氏は朝礼で「日頃の自分が仕事にも表れます。

 日常こそ自分を磨く場です」と話し、自分も襟を正したのでした。

 ところで、経営者にとって世にも怖い話の結末は、クリーング代の返金と、茶封筒からおもむろに取り出された迷惑料1万円。

 結局オーナーは登場せず、A氏は言われるままに1万円の領収書を書いたそうです。

投稿者: 伯税務会計事務所

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