2015.11.02更新

 今年も決算審査を終え、意見書を市長に提出いたしました。意見書提出H27

投稿者: 伯税務会計事務所

2015.10.15更新

 ミスをした部下に、あなたならどちらの声がけをするでしょう。

 「なぜミスをしたんだ?」「どうしたらミスをくり返さなくなるだろう?」

 質問する力を「質問力」と呼び、ひとつの能力としてクローズアップされるようになりました。

 「問いを立てる力」と言い換えてもいいでしょう。質問の仕方や問いの立て方で引き出される答えが変わってくるので、「相手が打ちやすい球」を投げましょうというわけです。

 先ほどの例でいえば、「なぜ」で理由を聞いてしまうと相手は言い訳を考え始めますが、「どうしたら?」と問いかけると自分で解決策を探すようになるそうです。

 世の中にはいくつかの有名な問いがあります。

 例えば、マネジメントの父と称されたピーター・ドラッカーの「何のための経営か」、経営学者セオドア・レビットの「わが社は本当はどんな商売をしているのか?」。

 どちらも時代を超えた名言であり、本質を突いた問いでしょう。

 上手な質問によって交渉相手の本音を引き出したり、機転を利かせた問いかけでピンチを切り抜けたりと、商売でも質問力がものをいう場面は少なくありません。

 ところで、肝心なのは「上手な質問」の中身でしょう。興味本位で自分が聞きたいことだけをポンポン投げかけても相手は打ち返してくれません。

 双方にとってのストライクゾーンに入る質問、つまり自分は聞きたいし相手は話したい(答えたい)と思っている質問を投げかけることができたら、商売に限らず人間関係全般がスムーズに運ぶのではないでしょうか。

 質問力は一種の能力なので訓練で上達します。

 では、質問力がアップするひとつのテクニックをご紹介します。

 相手の本音が知りたいときは、何か相談事を持ちかけてアドバイスを求めてみてください。

 人はアドバイスを求められると「もし自分だったら?」と想像して、警戒することなく自分の考えを話してくれるそうです。

 さりげなく聞いてみましょう。「あなたならどうしますか?」

投稿者: 伯税務会計事務所

2015.09.15更新

 いつも元気な人と一緒にいると自分まで元気になる気がします。

 相手が笑顔だと自分も笑顔になっていきます。

 幸せは人から人へ伝染します。これはいくつかの実験や研究でも証明されている事実です。

 米ハーバード大学が12000人以上を対象に、30年以上にわたって大規模な社会的実験を行いました。

 人の幸福度が他人に及ぼす影響力の調査です。

 それによれば日頃、接している家族や友人が幸せを感じていると、自分が幸せを感じる可能性が15%高まるという結果が出たそうです。

 しかも、自分とは直接関係のない人の幸せも自分の幸福度に影響するというのです。

 具体的には、人の幸福度は自分から数えて3人目まで影響するそうです。

 例えば、あなたにAさんという友人がいたとします。

 そのAさんの友人のBさんが幸せを感じていると、Bさんの幸せがAさんに影響してあなた自身の幸福度が10%アップするというわけです。

 また、「日々の生活に幸せを感じている友人が1人増えるごとに、自分が幸せになる可能性は約7%ずつ高まる」とも報告されて

います。

 反対に、日々の生活が不幸だと感じている友人が1人増えるごとに、自分が幸せでいられる可能性は7%ずつ低下したそうです。

 数字はともかく、幸せというものは確実に人から人に伝わる「素晴らしい伝染病」なのでしょう。

 そして誰もが「幸せの病原体」になれるのです。

 商売をしていると、つい売り上げや利益を最重要視しがちですが、そもそもは「人のお役に立ちたい」「人を幸せにしたい」という思いが商売の原点だったのではないでしょうか。

 お得意様、従業員、取引先と人間関係はいろいろでも、商売をするなら「まずは自分から」の精神を忘れないようにしたいものです。「人から与えてもらおう」とするより、「まずは自分が与えよう」という気持ちから幸せのお裾分けははじまるのでしょう。

 あなたの幸せが伝染して周囲も幸せになったら、これほど素敵で素晴らしい商売はありませんね。

投稿者: 伯税務会計事務所

2015.08.15更新

  誰が言い出したのか定かではありませんが、「ひがみ七訓」をご存じでしょうか。

 一、つらいことが多いのは、感謝を知らないからだ

 一、苦しいことが多いのは、自分に甘えがあるからだ

 一、悲しいことが多いのは、自分の事しか考えないからだ

 一、怒ることが多いのは、我がままだからだ

 一、心配することが多いのは、今を懸命に生きていないからだ

 一、行きづまりが多いのは、自分が裸になれないからだ

 一、あせることが多いのは、行動目的がないからだ

 誰でも多少は身に覚えのあることだと思いますが、これを読んだある人は「まさにうちの社長のことだ」と苦笑していました。

 社長だからといって完璧な人などいませんし、商売は上手でも人間としてまだまだ発展途上の経営者はめずらしくありません。

 けれど世間は優秀な人が会社を経営するものだと思っている節があります。

 特に社員は、「社長なんだから人間としても立派な存在でいてほしい」と高い理想を掲げるものです。

 先ほどの「ひがみ七訓」を「ひがまない七訓」にちょっとアレンジしてみました。読み比べてみてください。

 一、「ありがとう」を言葉にすると、つらいことが減ってくる

 一、ダメな自分も認めてあげると、苦しいことが減ってくる

 一、身近な人を笑顔にできたら、悲しいことが減ってくる

 一、我がままを上手に言えるようになれば、怒ることが減ってくる

 一、自分にできることを頑張れば、心配することが減ってくる

 一、自分と人を比べないようにすれば、行きづまることが減ってくる

 一、「これが好きだから」と思ってやれば、あせることが減ってくる

 商売も人間磨きも積み重ねこそ実力ではないでしょうか。コツコツと歩を進めていきたいものですね。

投稿者: 伯税務会計事務所

2015.07.15更新

 スピードが鈍るとき、物事が止まるとき、私たちの中では思考停止が起こっているそうです。

 その理由は主に「慣れ」とのこと。

 毎日新しい場所に出掛け、新しい人に会い、新しい出来事が起こる。

 そんな刺激的な日々を過ごしている人はそうそういません。

 毎日同じ時間に同じ場所へ出勤し、いつもの仕事をこなす日々。

 商売も長く続けていれば多かれ少なかれ慣れてくるのは当然ですし、要領がよくなって上手に手を抜くことを覚えるかもしれません。

 しかし、思考停止の状態で仕事をしても達成感や充実感は得られないでしょう。

 同じことをしながらも慣れないためにはどうすればいいか。

 ひとつは目的意識を持つことではないでしょうか。

 小さなことでもいいので、「今日これだけは絶対にやり遂げよう」という明確な目的意識を持って仕事に取り組む。

 今さらな話ですが、漫然とできることでもあえて目的意識を持つことで、やり終わったときには達成感が得られます。

 達成感を味わうと脳ではモチベーション系のドーパミンが活発に働き、やる気が出るそうです。

 要するに達成感は脳の活性化には重要な要素であり、次のモチベーションへの架け橋でもあるのです。

 人からの評価でも達成感は味わえますが、「与えられるもの」にはいずれ慣れてしまうのが人間の性です。

 ましてや自分が思い描くように評価してもらえなければテンションは上がらないので、他者の評価を期待するのも思考停止に陥る原因です。

 最良の方法は、達成感を得てやる気になる仕組みを自分で作っておくこと。

 つまりそれが「目的意識」です。

 日々、目的意識を持って仕事に取り組み、自分で自分を評価して達成感を味わう。

 仕事の充実とは小さな達成感の積み重ねにほかなりません。

 その積み重ねた達成感が自信となって新たな意欲を生むので次が見えてくるのです。

 商売に慣れは禁物です。

 自分に目的意識という「次のステージ」を用意できる人は、間違いなく「慣れ」とは無縁でいられるでしょう。

投稿者: 伯税務会計事務所

2015.06.15更新

 朝礼で経営理念の「思いやり」を説く社長に向かって、「社内で一番思いやりがないのは社長だよ」と心の中で毒づく社員。

 その本音は「難しいことはいいから、まずは社員から尊敬される社長でいてほしい」。

 口先だけのねぎらいなど社員はすぐに見破ります。立派な態度で正論をぶっても行動が伴っていなければ、社長という立場ゆえに余計見下されてしまうでしょう。

 いくら雇用関係とはいえ、尊敬できない人のために頑張ろうとはなかなか思えないものです。

 儒学の教えである「五常の徳」(仁義礼智信)のなかで孔子が唱えたのは「仁」と「礼」、すなわち「真心」と「礼儀礼節」でした。

 「人を使う立場にいながら寛大な心がなく、礼儀作法に従いながら尊敬の心がなく、葬儀に参列していながら哀悼の心がない。そんな、心の伴わない上辺だけの人間には何の美点もない」と説いた孔子にとって「心」と「言葉」と「行動」は三位一体の切り離せないものであり、とりわけ「心」が肝心だったようです。

 心は外からのぞけません。だからこそ人生の最重要課題は「心を鍛えること」だとされています。

 「心」と「言葉」と「行動」の三者をいかに過不足なく一体化させるか。孔子が終生その問題を追及したのは、人を導くリーダーにとって何よりも大切なものは品位であるという考えからでしょう。

 社会の中で自らの分をわきまえ、誠実になすべきことをなし、自分ではどうにもならないこと、例えば立場や状況や能力の限界といった宿命的なものは潔く受け入れる。

 孔子のいう「品位」とは、こうした「生き方」のことではないでしょうか。

 メジャーリーグのオファーを蹴って古巣のユニホームを選んだあの黒田投手が多くのファンに愛されるのは「20億円より4億円」というお金の話ではなく、彼の心と言葉と行動が三位一体だからでしょう。

 いつの時代も「真心と礼儀礼節を持って事にあたり尊敬されるリーダー」を待ち望んでいるのではないでしょうか。

投稿者: 伯税務会計事務所

2015.05.15更新

 人生をより良く締めくくるための準備を「終活」と呼ぶようになりました。最期まで精一杯生きることを自分に誓うための、自分に対する「喝」のようなものでしょう。

 「終わり」をイメージすると「今」が見えてくるといわれます。長年、終末期ケアにたずさわってきたオーストラリアの女性看護師が書いた本からもそのことが読み取れます。

 彼女は、患者たちが死の間際に語る言葉を聴きとって一冊の本にまとめました。その本によると、死を間近にした人が口にする言葉のトップ5は、
「もっと自分を幸せにしてあげればよかった」
「友人といい関係を続けていられればよかった」
「もっと素直に気持ちを表す勇気を持てばよかった」
「自分自身に忠実に生きればよかった」、そして
「あんなに一生懸命働かなくてもよかった」です。

 誰もが悔いのない人生を望んでいますが、本をまとめた看護師によれば、死を覚悟した患者のほとんどが悔恨(かいこん)や反省の言葉を残すそうです。

 何かを犠牲にしてまで仕事をしたり、やりたいことを我慢したり、自分の気持ちを押し殺したり、友人と仲違いしたり。そのときはそれなりの理由があってのことだったとしても、振り返ってみれば「何より自分を大事にしておけばよかった」という患者たちの後悔は、私たちが今後の人生を考える上でとても示唆に富んでいるでしょう。

 「今日が人生の最後だと思って今日を生きる」というのは、人生の後悔を減らすひとつの考え方です。

 あのスティーブ・ジョブズも、「今日が人生最後だとしたら、今日やることは本当にやりたいことだろうか」と毎日、自分に問いかけていたそうです。それでもし「ノー」が何日も続いたら、「何かを変えろ」というサインであろうと――。

 単に商売を続けることだけが多くの経営者の目的ではないはずです。「終わり」をイメージしたときに浮かぶ後悔や反省こそ、商売を通じて成し遂げたい真の目的ではないでしょうか。

投稿者: 伯税務会計事務所

2015.04.15更新

 日本には「道」という考え方があります。「空手の道を極める」といえば、空手(武道)の精神真髄を学んで習得し、明らかにすること。その過程は「形から入り心に至る」です。

 武道では、技の習得とともに礼節の大切さも合わせて指導しています。礼とは相手を尊敬し、自分を謙遜し、行いを丁寧にすること。節とはその場に応じた行動をわきまえることです。

 しかし、こうした精神論だけを説かれてもなかなか理解できません。

 そこで、稽古の前後に正座で黙想し、道場訓を斉唱してお互いにあいさつを交わすという「形」を繰り返す中で礼節の意味と大切さを理解して、それが身につき、やがて「心」に至るのだそうです。

 誰にでも気持ちよくあいさつができ、自然と感謝の言葉が出て、敬う立場の相手には敬意をもって謙虚な態度で接する。

 昔の日本人なら普通にやっていたことでしょう。それが今では、あいさつができるだけで「ちゃんとしている」とほめられるような時代です。

 「感謝だ」「思いやりだ」「おもてなしだ」と声高に訴えても、形が崩れていたのでは心には至れないのではないでしょうか。

 心という目に見えないものを整えるには、心としっかりつながっている「形としての所作(しょさ)」を整えることが大切なのだそうです。

 わきまえのある所作は誰の目にも美しく映るだけでなく、礼節を重んじる人や折り目正しい人は周囲から好感を持たれ、信頼され、たくさんの人に慕われるでしょう。

 たとえ初対面でも、相手のことをよく知らなくても、私たちは所作という形から多くを感じ取ってその人を判断しています。

 心を整えたければ所作を美しく。折り目正しい行動は心の折り目を正します。

 色々なことを頭で理解していても、それらを当たり前のこととして実践している人は存外少ないのが世の常ですが、「まずは自分から」の気持ちで振る舞いに気を付けたいものです。

 商売繁盛とは、そうした先にあるのかもしれません。

投稿者: 伯税務会計事務所

2015.03.15更新

 桜より一足早い春告花の「木瓜(ぼけ)」は、昔から俳句の題材として親しまれてきました。文豪の夏目漱石も大の木瓜ファンだったと聞きます。

 小説『草枕』では、「木瓜は面白い花である。枝は頑固で、かつて曲った事がない。そんなら真直かと云ふと、決して真直でもない。(中略)そこへ、紅だか白だか要領を得ぬ花が安閑と咲く。柔らかい葉さへちらちらつける。評して見ると木瓜は花のうちで愚かにして悟ったものであろう」と主人公に語らせています。
 
 木瓜の花言葉には「先駆者」や「指導者」のほかに「平凡」があります。梅によく似た花姿を個性がないと見た人がいたのかもしれませんが、漱石はその様子を「拙(せつ)」と表現し、「木瓜咲くや 漱石拙(せつ)を 守るべく」とい
う句を詠みました。

 「稚拙(ちせつ)」や「拙劣(せつれつ)」の言葉からも分かるとおり「拙」とは下手なこと、つたないことを意味しており、「拙を守る」とは漱石が生き方の基本として好んだ言葉だそうです。

 不器用で世渡り下手を自覚していた漱石ですが、器用で如才ない生き方に憧れていたわけではありません。むしろその逆で闇雲に利を追求するくらいなら、要領は悪くてもあえて拙を曲げない愚直な生き方を貫きたいという思いを込めて先の一句を詠んだのでしょう。

 何かと巧みさが注目を集める世の中ですが、下手で不器用だから成功しないと考えるのはいかがなものでしょうか。自らの不器用さを自覚している人は不器用を克服するために懸命に努力します。片や、もともと器用な人はさほど苦労しなくても上手くいくため、得てしてあくせくしないものです。

 努力なくして成長もないとするならば、成功の決め手は「器用」「不器用」ではないように感じます。むしろ器用であるゆえに努力を忘れ、そこで成長が止まってしまう恐れもあります。

 足りないところを補う努力を忘れずに、不器用ながらも高い志を持ち、拙を守って自分らしく商売を続けていけたらどんなに素晴らしいことでしょう。

投稿者: 伯税務会計事務所

2015.02.15更新

 あの訃報から約3ヶ月が経ちます。日本人の美学を集約したような稀代の名優、高倉健さんは、最期までご自身のスタイルを貫き通して旅立たれました。

 高倉さんは読書家で、特に山本周五郎の描く男たちの世界に強く共感されていたことは有名です。中でも『晩秋』という短編がお好きだったと聞きました。

 藩の立て直しを図るために情け容赦ない政治を執った進藤主計(かずえ)は、君主が代替わりすると過去の悪政の裁きを受ける身となりました。審判が下るまでの間、主計の身の回りの世話をすることになった都留(つる)は、かつて主計が切腹を命じた家中の娘でした。

 亡き父の遺志を果たすため懐剣を胸に主計の世話を続けていた都留はある日、主計と客人の会話を盗み聞きし、主計の真意を知ることになります。最初から覚悟の上で悪役となり、世間からどんなに恨まれようと藩政改革のためにたゆまず屈せず闘ってきたこと。

 目的が叶った今、「進藤主計」を悪政の首謀者として裁くシナリオを描いているのは、ほかならぬ主計自身であること。切腹を命じたある家中に対して今でも堪えがたい無念の気持ちを抱いていること――。

 物語の最後、主計は「自然の移り変わりの中でも、晩秋という季節のしずかな美しさはかくべつだな」と晩秋を称えます。都留はそれを聞きながら、すべてを自分の胸の内に秘めて人生の幕を引こうとする主計の人生に思いを馳せるのでした。

 「想いの強さ」というものを考えたとき、言葉に出したり人に伝えたりすることが自分の活力になる場合があります。成功者の多くが「夢を語れ」と指南するのは、言葉のパワーが物事を動かすことを体験的に知っているからでしょう。
しかし、逆もまた真なりではないでしょうか。

 つい自分を主張したくなるのが人間ですが、強い信念は胸に秘め、愚痴も言い訳もなしに課せられた使命を果たし、一切の責任を自分が負った進藤主計の気高さは、そのまま孤高の名優に重なります。改めて高倉健さんのご冥福をお祈り申し上げます。

投稿者: 伯税務会計事務所

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