国立市長に決算審査の報告書を提出しました
2016.08.30更新
今年も国立市の決算審査を終え。報告書を佐藤市長に提出いたしました。
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2016.08.15更新
ソフトウェア販売会社アシストの創設者であるビル・トッテン氏は週休3日だそうです。
本社は東京ですが、土日月の3日間は京都で暮らして本格的に農業をされているとか。
経営者だから自由にしているのではありません。
トッテン氏いわく「低成長が続く日本経済は縮小していくだろうから、雇用を維持しながら会社を存続させるには、賃金カットやワークシェアリングを進めたりして社員に負担を強いることになる。
そうなったら休日を使った家庭菜園は食費の節約になるはずだ」と。
つまりトッテン氏は会社と社員の将来を見据え、自分が1つのモデルケースになろうとしているのです。
同社は数年前から「週休3日」や「週1回在宅勤務」を導入したものの、なかなか社員に浸透しませんでした。
そこでまずは自分が家庭菜園を始め、自給自足に近い生活にチャレンジして、それを見た社員がどう行動するかを待ったそうです。
日本経済が今の6割になっても800人以上の社員をリストラしないと宣言しているこの会社は、経営者が自ら縮小時代への備えを率先して行動で示しているのでしょう。
経営者の仕事とは何でしょうか。
試しにインターネットで「社長の仕事とは」で検索してみると、「理念を語る」「戦略の立案」「人材育成」などさまざまな意見がありました。どれも確かに社長の仕事です。
しかし、大事な仕事が抜けているように思います。
それは「経営者にしかできないこと」です。
トッテン氏の行動が社員に大きな影響を及ぼすのはトッテン氏が経営者だからであり、経営者の掲げる企業哲学に社員が共感を覚えるからです。
朝一番にトイレ掃除をする。
現場に出向いて社員を激励する。
情熱をもって仕事に取り組む。
どれも経営者が自らやるからこそ社員の心に響きます。
逆に「経費削減だ」と言って極端に冷房などを節約し過ぎると、経営者がやるからこそ社員のモチベーションが下がります。
「経営者にしかできない仕事」を今一度、自分に問うてみましょう。
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2016.07.15更新
何かをしようとするとき、またはしているとき、私たちの意識は外を向きがちです。
「外」とは「他人」や「世間」のこと。人の言葉や考えに学ぼうと、他人ばかりを気にしていませんか。
世間にスポットライトを当て、世間に自分を合わせようとしていませんか。
人の評価を気にしたり、誰かのせいにしてみたり、世の中が良くないとかやり方が悪いとか、外ばかりに目や心が向いていないでしょうか。
ここ数年は名言集がよく売れているようです。
先人の英知にあふれた言葉にはありがたい教えがあり、名言に触れることで成長する自分がいるのも確かです。
けれど「あなたにとっての成功とは何ですか?」と聞かれたら、果たして自分の言葉で答えられるでしょうか。
外にばかり向かって追い求めようとする心を自分の内側に向け返し、本来の自分を照らすことを「回光返照」(かいこうへんしょう/えこうへんしょう)といいます。
外に向けていたライトを内なる自分に向け、心の中を照らし出し、自分自身を省みるのです。
外に向かって求める心が悪いのではありません。
回光返照とは「外にばかり心を向けて他人の考えをなぞっていると、本来の自分を見失ってしまいますよ」という禅の教えです。
時には内なる自分に光を当てて純粋な自分と向き合い、その自分が曇ったり汚れたりしていないか確かめてみてください。
己の心を明るく照らせば真実の自分が現れます。その自分でもう一度考え、取り組んでみましょう。
流行や人まねではなく、自分が大事にしたいこと、自分がやりたいこと、自分が求めること、自分だからできること。
それが「真実」です。
チルチルとミチルが探し求めていた幸せの青い鳥は、結局のところ二人に最も身近なところ、家の鳥かごの中にいました。
今、抱えている商売の問題や悩みも、最終的には自分で決断するとなれば、やはり答えは自分の中にあるのかもしれません。
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2016.06.15更新
「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」と言ったのは山本五十六元帥でした。
「真のリーダーとは?」を論じるときによく引用される有名なこの言葉は、「話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず」「やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず」と続きます。
また孔子が論語で述べた「能(よ)く五つの者を天下に行なうを仁と為す。
恭(きょう)寛(かん)信(しん)敏(びん)惠(けい)なり」も、リーダーの心得として時代を越えた教えとなっています。
「恭」とは部下(相手)に対して敬意を持って接すること。丁寧で慎み深く振る舞えば、あなどられることはありません。
「寛」とは部下(相手)に対して心広く寛大に応対すること。懐(ふところ)の広い人は慕われます。
「信」とは発言と行動を一致させて信頼を得ること。言行一致は信頼関係のベースです。
「敏」とは仕事が的確で迅速であること。すなわち実力が身に付いていることです。
「惠」とは思いやりを持って人に接すること。部下や同僚、取引先といった周囲の人々に対して深い思いやりを示すと、そこに協調と自覚が生まれます。
各自が自分のやるべきことを自覚したとき、マンパワーは最高の形となって結果を導くでしょう。
「リーダー」の定義に正解はありません。際だったカリスマ性で人々を魅了し、自分が輝くことでヒーロー的存在となって組織を統率するタイプのリーダーもいれば、陰の立て役者として人を輝かせることで求心力を発揮するタイプのリーダーもいます。
どんなタイプのリーダーであれ、まずは自分が行動し、先に与えて、尊重し、信頼して見守る姿勢が不可欠ではないでしょうか。
最後に、「伝説の経営者」と呼ばれたジャック・ウェルチの言葉を添えておきます。
「リーダーになる前は、成功とはすべて自分自身の成長を指している。
だがリーダーになれば、成功とは他の人の成長を意味する」
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2016.05.15更新
子どもの頃は親に学生時代は先生に、「分かったか?」と聞かれ、「分かりました」と答えながら本当は何も分かっていなかったことはありませんか。
会社では上司と部下の間で同じことが起こっているかもしれません。
この場合、上司の指示が部下にちゃんと伝わっているかどうか、まずはそこから考えてみる必要がありそうです。
例えば「定期的に顧客をフォローするように」という指示は「うまい指示」とは言えません。
なぜなら「定期的」や「顧客フォロー」の内容があいまいだからです。
「定期的」とは週に一度なのか1カ月に一度なのか。
何をすれば「顧客フォロー」なのか。
そこを部下に言わなければ指示の意図が伝わらず、上司としても「やった」「やらない」を評価できません。
評価できない指示は「まずい指示」の典型かもしれません。
「先月に注文をしてくれた客先には週に一度、顔を出して、使い方で分からないことはないかを直接確認しておくように」。
こうした具体的な指示なら部下は自分のやるべきことをイメージできます。
上司と部下との間で「定期的」や「顧客フォロー」の認識がずれることもありません。
指示に対する行動を評価することもできるでしょう。
「うま指示」の条件は、第一に相手が指示の内容を具体的にイメージできること。
具体的にイメージできないと実際の行動が伴わず、口先だけの「分かりました」になりがちです。
次に、評価できる指示であること。
「売り上げアップ」は一見評価できそうですが、どの程度が「売り上げアップ」なのかが不明瞭です。
その点、いわゆる数値目標なら結果は一目瞭然で評価も可能になります。
具体的で評価可能な「うまい指示」には、最低でも「いつまでに、何を、どうするか」が必要でしょう。
「顧客と信頼関係を築いてこい」のひと言で信頼関係を築いてくる部下は優秀ですが、ごく少数だと思ったほうがいいかもしれません。
言葉だけ投げかけても部下に行動を促すことは困難です。
具体的なイメージができるからこそ、人は行動に移すことができるのではないでしょうか。
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2016.04.15更新
極めて短い時間を「刹那(せつな)」といいます。
仏教の時間の概念において最小単位である「刹那」は、約75分の1秒だといわれています。つまり「一瞬」です。
絶え間なく続いているように思える時間は「刹那」の連続で、あっという一瞬の間にすべての物事が変化していることになります。
刹那の連続で過去が現在になり、さらに未来へと連なっていくのでしょう。
この世に存在するあらゆるものは移り変わっていきます。
すべてが一刻一刻、一瞬一瞬と変化して、変わらないものは何ひとつありません。
それが「諸行無常」で、お釈迦様の悟りを表す言葉のひとつです。
「諸行無常」の意味を頭では理解していても、実感するのは難しいものです。
久しぶりに会った人の変化には敏感でも毎日、顔を合わせている人の変化には気付きにくく、何も変わっていないように見えることさえあります。
自分のことも同じでしょう。
10年前の写真を見れば変化は一目瞭然ですが、1年前くらいの写真では変化が読み取れないかもしれません。
けれどそれは錯覚です。
私たちは1年ごと確実に変化しています。
1年経てばひとつ年を重ね、その分だけ老いてもいます。
1年で変化しているということは、1日ごとにも変わっているわけです。
1日で変化しているのなら1時間、1分、1秒、刹那ごとにあらゆるものが変化しているのでしょう。
言い換えれば、刹那の連続で1年、10年、そして一生となっていくのです。
こうしている間にもどんどん時間は過ぎていき、すべては変化しながら少しずつ老いて人生の終わりに近づいていきます。
時間は命と同じです。
生まれたばかりの赤ちゃんも80歳の人も、残された時間が減っていくことに変わりはありません。
実感するのが難しいだけで、誰でも刹那、刹那に命が失われています。
時間の無駄遣いは命の無駄遣いだと思えば、少しは「今」を大事に生きられるでしょうか。
お釈迦様の悟りには達せずとも、せめて「今日一日を大事にしよう」という気持ちで毎日を積み重ね、商売に精進していきたいものですね。
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2016.03.15更新
最近、時間を忘れてまで何かに没頭したことがあるでしょうか。
そこで今回は仕事に集中するためのヒントです。
時間の感覚がなくなるほどある行為に没頭した状態を「フロー状態(flow=流れる)」と呼ぶそうです。
つまり流れに乗っている状態のことです。
スポーツ選手がよく「無心で集中できました」と言ったりしますが、フロー状態では常に高い集中力を発揮できるので、パフォーマンスが向上して良い結果が出せるのでしょう。
さらに没頭しているフロー状態から一時的に起こる極限の集中状態を「ゾーン」と呼ぶそうです。
動いている相手やボールが止まって見えたり、視覚や聴覚が非常に鋭くなったりするのは、「ゾーンに入った」ということです。
一流のスポーツ選手は自分でその状態を作り出せるので、ある程度意識的にゾーンに入ることができるといわれています。
ゾーンを作り出す方法は人によりますが、ラグビーの五郎丸選手の「ルーティン」は、まさにゾーンに入るための集中の儀式でしょう。
以前は「フロー状態」も「ゾーン」も才能のひとつだと考えられていました。
しかし、さまざまな分野で集中力とパフォーマンス向上の検証がなされ、現在ではトレーニングや工夫次第である程度、集中力をコントロールできるとされています。
一流アスリートのようにはいかなくても、集中力を高めるちょっとしたコツを覚えておいて、仕事がはかどらないときに試してみてはいかがでしょう。
おすすめは「集中ワード」。
集中ワードとは自分のやる気を高める言葉です。
あらかじめ紙に集中ワードを書いておき、集中力が落ちてきたらそれを見ます。
「達成したらおいしいものを食べに行く」などの自分へのごほうびや、「がんばれ!」「絶対達成!」「俺ならできる!」といった自分への励ましは想像以上にやる気を刺激するそうです。
ちなみに印刷された文字より、自分の手書き文字を見たほうが脳は反応しやすいとか。商売の流れに乗るために今すぐ始められる方法ですね。
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2016.02.15更新
先日、こんな話を耳にしました。
主人公はあるタクシーの運転手。
バドミントンと掃除とバイクが好きだという五十代の男性のAさんです。
Aさんの休日は掃除から始まります。
午前中いっぱいかけて家の中を徹底的に磨き上げるそうですが、特にトイレ掃除は気合いが入るとか。
設備会社で働いていた経験をいかし、便座は外して風呂場で水洗い。
極めつけは便器の縁に小さな鏡を当て、見えないところの小さな汚れまでひとつ残らずきれいにするそうです。
「トイレをピカピカにすると運が良くなると言いますけど、どうですか?」と尋ねられると、「トイレ掃除をした次の日はたしかにお客様が多いですね」とのこと。
他の運転手が2時間以上も粘ったのに撃沈したタクシー乗り場にAさんが入れ替わりで行くと、5分もしないうちにお客様が乗り込んできて、しかもかなりの遠距離へ。
そんなことが珍しくないそうです。
掃除が終わったら午後はバドミントンの時間。
Aさんは30年のキャリアと実力の持ち主で、仲間と一緒に夜遅くまで汗を流します。
「休みの日に朝から丁寧に掃除して、みんなでバドミントンして、たまにバイクにも乗って、これが私の最高の楽しみなんですよ。人生は一度だけだから一日一日を大切に過ごさないとね」。
Aさんは、小さい頃に祖母から言われた「一日一善」を今でも心掛けているそうです。
「良いことをすると良いことがあるんだよ。神様は見ているんだねぇ。不誠実なことはできないよ」。
考え方が人生をつくっていくと言ったのは京セラ創業者の稲盛和夫氏です。
人生や仕事の結果は「考え方×熱意×能力」だから、どんなに熱意や能力が高くても考え方がマイナスだと結果はマイナスになってしまうというわけです。
経営者として自分の熱意や能力を存分にいかせる考え方をしているだろうか。
お客様に喜んでいただけるよう誠実に良い仕事を追いかけているだろか。
Aさんのことを思い出しながら、ふと自問自答する今日この頃です。
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2016.01.15更新
お正月の風景もずいぶん様変わりしました。
例えば福袋。
かつては「お楽しみ」だった中身があらかじめ公開され、今は「お得感」や「実用性」に重きが置かれているものも多いです。
「福」の意味や価値も時代や世相を反映して変わってきたのでしょう。
しかし、「今年こそ!」と新年に誓いを立てたり、新しいことを始めたりするのは人の習いとして今も昔も変わりません。
時間の区切り方は色々でも、希望や期待を思わせる「新年」は事始めにもっともふさわしい区切りではないでしょうか。
大正から昭和にかけて活躍した作家の吉屋信子さんは、新年の思いを暦に託して「初暦 知らぬ月日の 美しく」と詠みました。
まっさらなノート、まっさらなシャツ、色々な「まっさら」がありますが、まだめくられていない初暦ほど「まっさら」という言葉が似合うものはないでしょう。
まっさらな暦には、まっさらな日々が眠っています。
まっさらな日々には、まっさらな時間が詰まっています。
今日から先は未知の世界であり、そこには個々の未来が静かに横たわっているのです。
商売をしていればままならないことの連続ですが、暦を一枚めくればその日は「過去」になり、その下には希望や期待で輝きながら目覚めのときを待つ「まっさらな未来」がほほ笑んでいるのです。
商売は長丁場。
行き当たりばったりで続けていけるものではありません。
経営には長期的な展望や戦略が必要だとされますし、実際にその通りでしょう。
しかしながらこれだけ時代のサイクルが速くなると、どれだけ長期的な目標を明確にしても10年後の社会情勢や環境がどうなっているかは誰も知る由はありません。
今のような時代には、少し先を見ながら「今年こそ!」を「今日こそ!」に替えて、暦を一枚ずつめくっていく感覚が似合っているように思えてなりません。
初暦は未知の宝庫のようなものです。
商売の成功や人生の充実というものは、「今日こそ!」の積み重ねの先にあるのかもしれませんね。
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2015.12.15更新
「除」には「古いものを捨てて新しいものに移る」という意味があります。
ですから、古い年から新しい年に移る大晦日の「夜」を「除夜」というようです。
除夜には、暮れゆく年を惜しみつつ一年を締めくくる様々な行事が行われます。
108回突かれる除夜の鐘もそのひとつです。
ところで「108」という数は一般的に「煩悩の数」とされています。
そもそも煩悩とは自分を悩ませるものや心を乱すもののこと。
仏教の根本的な考え方でいうと人の煩悩は大きく3つあり、まとめて「三毒」と呼ばれるそうです。
1つ目は「貪(とん)」、必要以上に欲しがること。2つ目は「瞋(じん)」、自分の心に執着して思い通りにならないと怒ること。3つ目は「痴(ち)」、無知で愚かな考え方にとらわれること。
要するに「欲」と「怒り」と「愚かさ」が私たち人間を悩ませ、心を乱すのでしょう。欲の対象はモノに限りません。
「もっと○○だったら」と人をらやむことも欲の一種です。
もとより思い通りにならないのが世の中なのに、自分の考え方に執着していると、いつもイライラしなら暮らすことになりかねません。
そうやって自分で煩悩を生み出してしまうのが人間の愚かさなのでしょうか。
ある資産家がしみじみ話していたそうです。
それは「人間、どうしたって不安は消えない」ということです。
お金がないのは不安だけれど、あればあったで今度は「このお金が減ったらどうしよう」と不安になるし、経済的に満たされても健康や人間関係の不安はつきまとう。
商売で成功し、お金持ちになってはじめて「いくらお金があっても不安は消えないことが実感できた」というその人は、改めて「幸せって何だろう」と考えてみたそうです。
その答えはあっけないほどシンプルでした。
いわく、「今この瞬間を幸せだと思えることが幸せである」と。
煩悩は十人十色でも、人生は「今」の積み重ねであることに変わりはありません。
つまり商売の成功も「今」の積み重ねだということでしょう。今年も残りわずかです。
「今」を悔のないように、商売に励みたいものですね。
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